穏やかな心で人生の終わりの時を迎えられるように

毒親とサイコパス妹というオオタ家で育った私の、事実の吐き出しです

トラウマ

外と内の顔が180度違う母親と妹という家族と子供時代を過ごしたおかげで、息子が産まれてから酷い女性恐怖症になった。

独身の頃も人間関係が良好だったとは言い難いが、恐怖症や人間不信になったりはしなかった。

ただ実家の家族からもらった怒りの感情と劣等感で満ちていて、自分は人よりも劣っていて人の意見のほうがすべて正しいと潜在意識に刻まれていた。

すべてに自信がなかった。

価値がない人間で粗末に扱われて当たり前だと、無意識下で思い込んでいた。

私が怪我するよりも、物のほうが大事な感じ。

 

そんな私が微かな自尊心を保って、現在も人から見たら普通に暮らせているのは、あやこ伯母さんのおかげと言っても過言ではない。

家では母親に 「お前」 と呼ばれ縮こまって暮らしていたが、あやこ伯母さんだけは小学生の頃には 「すみこ嬢」とか呼んでくれたりして盛り立ててくれた。

親しく話をしてくれた。

それだけのことなんだが、孤立無援の 「お前」 にとっては嬉しくて有難いことだった。

 

結婚願望もなく子供も苦手だったが、将来の希望も何もなかった私は、望まれたので結婚し息子も産まれた。

育児は本当に大変で苦痛だったが、息子達には幸せな人生であってほしいので、私なりに頑張った。

 

でも他のお母さん達と、何をしゃべったらいいのかどう付き合ったらいいのかわからない。

独身の頃には特に気にすることもなく女性と関わっていけたのが、息子が産まれてからはダメ。

とにかく女が怖い。

長男が幼稚園の頃なんて、なぜか園児の女の子でさえも怖く、特に子育て中のお母さん世代は非常に怖かった。

 

それを克服するために、本を読み漁った。

カラ元気でいいから表面的に元気に振る舞っていれば、内面も強くなるらしい。

明るくてサバサバした元気な母親を、自分なりにやってみた。

ただの空気が読めないガサツな人になっただけで、かえって避けられた。

 

何か違うってのは誰だってわかる。

こっちが冷や汗を流し、常に顔色を伺い、人に合わそうと必死なのも、もちろんばれてる。

 

 

息子達が成長し巣立ってからは、無理してお母さん達と付き合う必要がなくなったからとても楽になった。

余計な詮索も心配もしなくなり自然にしていたら、人も向こうから近づいて来てくれるようになった。