穏やかな心で人生の終わりの時を迎えられるように

毒親とサイコパス妹というオオタ家で育った私の、事実の吐き出しです

絶縁のはじまり

父親の葬式が終わり葬式費用やら香典のチェックを、母親と妹と私の3人でしていた。

実家と妹の婚家は500mもないほどの距離なので普段から頻繁に行き来があり、私は車で一時間の所に住んでいることもあって、父親の健康問題がおきるまでは年に数回顔を出す程度の付き合いだった。
そのような状況でもあるし、実家での妹はイニシャチブを取るのが当たり前というか、取らないと気がすまない性格なのは熟知していたので妹が中心になっていた。

親の通帳の残高ページも、私には見えないように確認していたがそんなことはどうでもよかった。
後日母親の定期預金を解約する際に、妹も同行していた。


父親はずいぶん前から遺言書を書いていた。(後で調べたら、私が高校を卒業した年だった)
それには妻にすべて相続すると記されている。
その事は私たち姉妹にも知らされていて、認知している腹違いの兄がいるからだと認識していた。

 

葬式後のもろもろの手続きは、誰かの体調不良などがないうちに早めに済ませてしまいたかった。
まずは司法書士事務所と年金事務所。
すぐに司法書士事務所へ行って相続の手続きを終わらせたかったが、なぜかグズグズしていて行こうとしない。
母親は妹の機嫌を損ねたくなくて、その頃にはほとんど言い成りだったから妹の意思だ。
ようやく事務所で会うことになったが、妹はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべ私と話をしようとしない。

それでも司法書士さんに遺言書を見せ用件を話すと、まずそこの市役所の税務課で書類を3枚もらってきて下さいと要求された。
事務所を出て駐車場と反対側を見れば、すぐ目と鼻の先に市役所が。
さすが司法書士事務所は便利な場所に構えているなあと感心して歩きだしたら、妹は反対側の駐車場に向かっている。
「あれ市役所でしょ?」と指さす私を無視して車に乗り込む。
母親は少しためらいながらも一緒に乗り込む。
目の前なので歩けば1分もかからず即到着。

その道は車は通行出来ないので、事務所の駐車場から市役所の駐車場へは、遠回りすることになる。

それにしても車がなかなか到着しないので、駐車場内を探したり事務所まで戻ったりした。

私を無視して悦に入ってる妹だが、手続きは進めなければならないので妹に確認しながら申込書を書き、それを妹が窓口の人に何か質問し書類を2枚もらってきた。
2枚でいいのかと思うも、そのまま事務所に戻る。
司法書士さんから書類はやはり3枚必要だと言われた。
すると妹はニヤニヤと楽しそうに、司法書士さんに向かって私のミスだというような思わせぶりな言い方をして、ニヤッとこっちを見た。
自分で窓口の人に確認してもらってきたんだろ!と腹が立ったが、この場で言い争うのは大人気なく司法書士さんに迷惑だし、手続きを早く進めたかったから口には出さなかった。
怒りを我慢している私を見てさらに楽しそうだった。
司法書士さんは委任状を持って歩いて市役所まで行き、もう1枚書類をもらってきてくれた。
二人とも財産放棄の判を押す。


年金事務所は私が住んでいる市にあり実家の地域の管轄もここなので、私が実家まで迎えに行き手続き後は送って行くつもりでいた。
しかし妹が別の用件で従姉に電話したときに、勝手に頼んでしまった。
従姉は実家の隣町に住んでいて、その母が少し前に亡くなっていたけど年金の手続きはまだだから一緒に行きましょうと善意(社交辞令?)で誘ってくれたのだった。
隣町とはいえ通り道ではないので、わざわざ実家まで来てくれてわざわざ送ってくれることになる。

なによりも当時は私が仕事をしてなくて毎日暇にしてるのに、葬式か法事でしか会わない従姉に負担を掛けるのは気が引けた。
私が送迎すると何度も連絡したが、従姉に頼んであるからと譲らなかった。

 

理由は四十九日で集まった時にわかる。


葬式費用の支払いが済んでからは、母親や妹からの連絡が一切来なくなった。
だから私が頻繁に実家に電話をして、何かすることはないかと状況を聞き出していた。
今までも頼まれたことは必ず行っていた。

連絡がまったく来ないのは、四十九日の手配は、お坊さんと料理屋(店はもう決まっているので、日にちと金額を伝える)と引き出物くらいだから、いちいち私に連絡はしないのかと呑気に考えていた。

ある日電話をしたら、私には知らされてないが偶然引き出物を選びにいく予定日だった。

でも妹が体調が悪くて運転出来ないから、延期にしたとのこと。
「じゃあ私がこれから行くよ」と誘えば、カタログで選ぶから来なくていいと妹が言ってるとの母親からの返事だった。


四十九日当日は、時間に余裕を持ち実家に着いた。

玄関に入り「おはよう~」と挨拶しながら台所の戸を開けたら、入口近くにいた母親に開口一番 

「何もかもれ〇ちゃん(妹)だけにやらせて!  ちゃんとお礼を言っておきなさいよ!!!」 怒鳴り付けられた。  
唖然・・・
母親の後ろにいた妹を見ると、薄ら笑いを浮かべ非常に満足気な顔をしていた。

その顔を見て、葬式後からのすべてを理解した。
私が何でもするからと頻繁に電話をして尋ねていたのに、わざと何もさせないようにして、母親が怒鳴りつけるように誘導する。

当然腹が立ったが、理不尽な扱いは子供の頃から慣れていた。

四十九日当日でこれから人が集まってくるし、今日だけは問題なくこなそうと思った。

徐々に親戚や近所の方々が集まりはじめて、私と妹はお茶出しをしていた。
すると、フローリングの部屋で「スリッパを脱いで歩きなさい」とか、もうとっくにお茶は出してるのに「さっき来た人にまだ出してないから早く出しなさいよ」とか(念のため確認したらちゃんと出てる)、まるで嫁をいびる姑のように妹が命令してくる。
妹はもうご機嫌でルンルン♪ 状態。 
今思い出せばアホらしくて笑えるが、その時は怒り心頭。

怒ってるうちにお坊さんのお経も終わり、ちょっとした法話というか雑談だったかをしてくれた。
お坊さんは私が激しく怒ってるのに気づいていた。

そして次は料理屋に移動して会食。
母親は妹の席まで小走りで来ては戻り、また妹の所へ来ては戻るを何度も繰り返していた。
まるで投げたボールを咥えて戻ってくる遊びを続ける犬のように・・・
そんな様子を見て、また怒りを覚えそして絶望した。
その頃の妹は母親に、時に顔を近づけて乳幼児に甘えさせるような優しい言葉をかけ、時には激しく喚き散らしたりしていた。

その後、また実家に移動。
そしてようやく私たち夫婦も帰宅していい頃合いになった。
嫌なことにちょうど妹夫婦も帰宅することになった。
妹は私と目を合わせないようにしながらも、これ見よがしなしてやったり顔でご満悦だった。



体中の血が沸騰するのを感じた


子供の頃からの私の役割は、今でも変わっていないらしい。