穏やかな心で人生の終わりの時を迎えられるように

毒親とサイコパス妹というオオタ家で育った私の、事実の吐き出しです

父親の浮気

父母はお互いに気に入らなかったのに、昔の田舎によくあることで両家が決めてしまった結婚だった。
それでも箱入り娘の母親は父親を好きになり愛されたかったのに、父親にとって母親は女として到底無理だったようだ。
社会人になってから、偶然父と浮気相手の女がいる場に出くわしたが、スラッとした髪を高く盛った澄ました女でスカートをはいていた。
母親は背が低くずんぐりむっくりでおばさんパーマ、はいてるのはモンペかズボン。
農家だからスカートをはく機会なんて、普段はないからしかたないことだが。

 

花柄が好きだった母親に、父親は「お前はセンスがない。お前にはそんな服は似合わない。」とよく言っていた。
それは事実でもあって、高校の三者懇談に着てきた服は、ベージュ色で総花柄レースのオーダーした膝上のワンピースで、壊滅的に似合ってなかった。
というか、よくそんなお金があったなと。

私は靴下さえも不自由していた。

少ない靴下をどういうローテーションではいたら、多く見えるのだろうかなどど、アフォなことを考え実行していた。

その膝上ワンピースで校門から校舎に向かって、がに股でドタドタ歩いてくる人が母親なんだとクラスメイトにバレないように、素早くその場を離れた。
高そうなワンピースだったのに、その後1回しか着たのを見ていない。


浮気相手は一人だったのか複数だったのかは知らないが、父親は何十年も浮気をしていた。

こそこそと電話をしているのを、何度も見たことがある。

父親も亡くなったことだからと、今も地元にいる友人に告白したら知っていた。

小学高学年の時に、休日に一人でどこかへ出かけた父親 が、ブドウの大きな実が5~6個くらいついた小さな房を、手にぶら下げて帰宅した。 不思議だった。
「この実は1個10円もするんだぞ」勿体ぶって言われ、はじめて見た大きなブドウを、1個10円もするんだと思いながら有難く2個ほど食べた。

またある日の不思議な出来事。
工場から帰宅して作業服のままの父親が、突然私と妹を連れて知らない道をドライブ。
1~2時間走り、大きなレストラン前で停まった。
レストランなんて行ったことなかったし、出入りする客たちは着飾っているように見え、作業服の父親や綺麗ではない服装の姉妹が場違いに思え恥ずかしくて、拒否したが 「こういうことも経験したほうがいい」 とかで、無理やり入店させられた。
運悪くど真ん中の席に案内され、客たちからの視線を浴びながら座った。
そして大声で 「中華そば3つ」 と注文するから、さらに目立って恥ずかしかった。
熱いけど急いで食べた。

 

浮気のせいで会社に居づらくなって転職したと、伯母から聞いた。

母親は時々その話を、私にした。
浮気相手が駐車場兼農機具小屋の窓を割ったとか、母親が入浴中に外から窓をノックして父親がどこにいるかと問われたとか、祖父の葬式に来たから父親に怒ったら殴られたとか。
新聞の相談コーナーに投書して、回答の紙面を見せられたこともあった。

実家には無記名のハガキが数枚届いていて、[奥さんや娘さんがかわいそうです] と書かれていた。
妹の職場にさえもハガキや電話まであったらしい。

年配者にもかなり携帯が普及した頃に母親に勧めたら、『こっそりと浮気相手に連絡するといけないからまだ持たない』という意味で、 「アレが」 と言って、父親が寝ている寝室のほうを顎で指した。
その頃には自家用車も手放していたし、一人で出かけることができる健康状態ではなかったのに、電話連絡するかもしれないという不安をまだ持っていた。

葬式に浮気相手は来なかった。