穏やかな心で人生の終わりの時を迎えられるように

毒親とサイコパス妹というオオタ家で育った私の、事実の吐き出しです

父親

赤ちゃん~幼い頃の写真は、ほとんどが私ので妹のはほんの僅かしかなかった。

そこに一緒に写っている母親は幸せそうに笑っていた。

小学生の時に一緒にアルバムを見てた妹が 「これは誰?」と聞いたが、どれも私の写真ばかりで可哀想だったから「れーちゃんだよ」と答えた。

 

幼い頃は父親に可愛いがられていた。

なぜかとても偉い人だと思い込んでいた。
小学生の中学年になると、それは違うのかもしれないと気づきはじめた。
高学年になると、違うことを確信した。
父親は見る目が変化していくのを気づいていたことだろう。

たぶん父親から離れ始めた頃から、理不尽に殴られるようになって、よく鼻血が出た。
そんな私を、ニヤニヤと下卑た表情で見ていた母親の顔を忘れてはいない。

その頃は毎日理不尽な扱いを受けていたから悔しくて悔しくて、時々ものすごく怒って訴えることがあったが、父親はそれを 「喧嘩両成敗でどっちも悪いから(俺に)謝れ」 ですまそうとする。
妹はすぐに謝る。
悪いのはおもしろがってわざと喧嘩を吹っかけてくる妹だけであって、私はまったく悪くないと思っていた。

だから 「何が悪いのか説明してほしい」と食い下がると、 「親に逆らうのが悪い」と言って殴られ鼻血が出る。
父親に殴られるのは、100%妹から喧嘩を吹っかけてくるのが原因。
それ以外はなかった。

 

いつものように妹の嫌がらせから喧嘩になり、妹はすぐに謝ったが、何も悪くないと思っていた私は頑として謝らなかった。
そしたらパンツ1枚で中庭の木に括り付けられた。
「逆らうからこんな目にあうんだ。蚊にくわれていろ」


中学生になったらようやく知恵がつき、殴られそうになったら道路へ出て、誰かに助けを求めたらいいんじゃないかと気がついた。
中学1年でまた殴られかけたので、 「誰か助けてー!」 と大声で叫びながら、家から出ようと玄関までたどり着いた所で追いつかれ、後ろ髪を掴んで引き戻された。
抵抗しても中1の女子が大人の男に勝てるわけがなく、もみ合ってうつ伏せになったところで、後頭部をグリグリと足で踏みつけられ、顔が土間で擦られた。
鼻の頭と下に目立つ擦り傷が出来て、学校で担任の教師に問われた時には 「自転車で転んでしまって~」 と答え、教師やクラスメイトに笑われた。

 

もう親とは口もきかないようにしようと決心し、中学・高校は家を出ることばかり考えていた。