穏やかな心で人生の終わりの時を迎えられるように

毒親とサイコパス妹というオオタ家で育った私の、事実の吐き出しです

妹嫌がらせ→私叱られる 妹に竹枝で頬えぐられる→無抵抗だった私叱られる 

子供の頃、私たち姉妹は仲が悪かった。
それでも一緒に遊ぶこともあった。
遊んでいても妹がわざと嫌がらせをする → 私は怒って母親に訴える → なぜか 「お前が悪い」 と叱られる → 妹は何をしたって叱られないのでおもしろくて嫌がらせエスカレートでやりたい放題。

実家の横に竹林があり、切った竹の枝が積んであった。
カフカしてたのでトランポリンのように飛び跳ねて、妹と遊んでいた。
そのうちに笹が落ちて枝だけになったのを、刀に見立ててチャンバラのように振って遊んだ。
妹が顔をめがけて枝を振ってくるようになった。
「危ないからやめてよ」 と言ってもさらにおもしろがって顔をめがけてくる。
私は自分の枝を捨て、「私は捨てたかられーこも捨てなさい」
それでもニヤニヤして楽しそうに振ってきたので、頬に痛みが走った。
すぐに鏡を見にいけば、長さ2cm幅3mmくらい皮膚がえぐり取られていた。
激怒して母親にその時の状況を詳しく説明し、私は無抵抗だったことを訴えるもこの時でさえ叱られたのは私。
その傷は20代になっても残っていた。


そのようなことが何度あっても、妹とは話し合えば分かり合え仲良くなれると信じていた。
母親のストレスのはけ口に私がなってるので、子供の妹が増長するのはしかたないんじゃないかと。

妹はやりたい放題で好き勝手に大きな顔をして暮らしていた。
家で決められている約束事を破っていたから、見かねて注意すれば 「あたしが楽しんでるのに、なに邪魔するの!」

私がやりたかった部活や習い事も、妹は中学高校でさせてもらっていた。
いや私がやりたかったのを知ってたからこそ、同じのをしていたのかもしれない。
私は高卒で社会人になってから、自分の給料でその習い事に通った。

 

 

そしてお金を貯め、長年の念願だった実家をようやく出ることができた。
一人で寂しいなんて思ったことは一度もなく、家族がいない生活はとても快適だった。


それでも互いに結婚し子供もできると顔を合わせるようになり、ぎくしゃくしながらも話をするようになった。
そして妹姑や職場の愚痴や悩みも親身になって聞くようになり、本気で同情してた私は相当なバカ。

花をすぐに枯らしてしまい、1シーズンに何度も植え替える妹のために、花の株を大きくして丈夫にしてから、持って行ったりしていた。
時には互いの家の中間地点で落ち合い、新たに作った花の鉢植えと、シーズンが終わった鉢植えを交換したりした。

妹がワンピースなんかを探していると聞けば、デパートやショッピングモールやアウトレットに何度も付き合った。

あれっ! 私が何かしてもらったことってあったっけ・・・・・・・・・ ないな~


まあ仲良くしてるような期間も、妹が大病をして仕事を辞めてから変化し、終わりを告げはじめる。
退職後しばらくは友達や近所の人たちと、頻繁にモーニングやランチやたまに旅行もして楽しんでいた。
しかし退職金から取ってあった小遣いが、なくなりかけるころから様子が変わってきた。

用事もないのに何度も電話してきて「姉ちゃんとこは、よくお金があるね~」と嫌味ったらしく言ったり、会うたびにやたらと突っかかってくるようにもなった。

そんな状況になった頃に父親が亡くなり、葬式後から妹は本領を発揮した。